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2011年12月29日 (木)

県親の会会長 鈴木 厚さん

親の会って何だろう

 

3月11日の東日本大震災は、いまだ復興が目に見えて進展しておりません。加えて原発の事故が重なり、おそらく今後20年から30年では回復が困難と思われます。こうした中で唯一の救いは“きずな”ではないでしょうか。

 被災された方々はもちろん、日本中の皆さんが“支える”という気持ちを持っているからこそ絶望の底から這い上がろうとしています。私たち親の会にもこうした気持ちが底に秘められての“きずな”で結ばれています。

 我が子が「聴覚障害者」であることを知った時、一瞬「絶望感に襲われた」ことがあったことと思います。やがて気を取り直し、この子をどのように育てたら良いかと思案し、いろいろな所に相談したと思います。そして、行き着いたところが「聾学校」でななかったでしょうか。今でこそ当たり前の「聾学校」という受け入れ先があったから今があると思います。

 その昔(実はそんなに昔の話ではありません)親は必死になって子供の将来を相談する所を探し続け、疲れ果てて、たどり着いたのが「聾学校」でした。

 “聴覚障害児の早期発見・早期教育”は親の会の願いであり、活動の原点でした。

 しかし、今では社会全体が「障害者を受け入れる体制」が整い、親がそれほどまでに力を入れなくても“それなりの生活”が送れるようになりました。

 今現在、子育ての中の親御さんにとっては「今の聴覚障害者が置かれている立場(境遇)」は当たり前のように思えるし、まだまだ十分とはいえないかもしれませんが、先輩たちの「差別に対する反骨」には血の滲むような活動があったからこそて今日があるのです。単一ろう障害児(者)だけではありません。いろいろな障害を併せ持つ重複障害児(者)の親御さんには今なお大変なご苦労があります。

 聴覚障害者の将来、「親亡き後の生活」は現状のまま推移したとしたとき、「大丈夫」と言い切れ切れる親はどれくらいいるでしょうか。

 「我々が何もしなくても世間は何かをしてくれる」では親の会はいらないでしょう。

「うちの子をこのように育ててほしい」との思いは就学児の親なら誰しもあります。

聴覚障害者は現在でも、まだまだ不満・不遇な扱いはたくさんあります。これを改善改革しようとすれば、現状に甘んじていてはいけないのです。今すぐ改革できないこと、我が子供たちの将来あるいは後輩のお子さんたちのためにも今、活動を前進しなくてはならないのです。ここが親の会の存在意義であり、価値です。

“親の会は何のメリットもない”と言われる方もあります。“現状で十分満足している”から親の会は必要ないという方もあるでしょう。

 しかし、ある程度満たされた今日は、過去の先輩たちのたゆまない努力の結果、やっと今日の恩恵に浴しているだけなのです。当たり前になったのです。

 一番の理解者である親たちが現状で満足していては進展はありません。

 あなたの子供さんがもし就学児であれば、学校や行政に対してああして欲しい、こうして欲しいとの欲求はあると思います。

 しかし、一人ひとりの個人でどれだけモノが言えるでしょうか。そこに組織というものが必要なのです。

PTAという組織も就学児のうちは十分な力を発揮し、発言も活発に行います。

「PTAがあるから親の会は必要ない」という意見を聴くことがあります。」卒業すると親はそうした繋がりが希薄になってしまいます。そこでPTAを含めた「親の会」が就学時から卒業後の就労、結婚問題、社会生活上の問題に至るまで様々な取り組みを行っています。残念ながら、行政や世間に対して「親の会の組織」が十分認知されておらず、力を発揮しておりません。それは、親自身が現状に甘んじているからです。

「個人の思い」は持っていても親の会の組織の活動に生かしていないのです。役員の引き受け手がない、受けたくないということも活動を減退させています。

こうした活動は自発的にやらなければならないし、ボランティアそのものです。

「誰かがやってくれる、私はヒマがない」と言われる方もときどきお見受けします。

でも、何不自由なく生活しているようでも「不安」を抱えながらではないでしょうか。同じ境遇にある“親の会会員”だからこそ話が通じるし、世間への要求も一致します。

そして、「親の会には卒業はない」が親の会の共通した思いなのです。

 

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